Quantcast
Channel: 死刑をとめよう!長野の会のブログ
Viewing all 44 articles
Browse latest View live

6.25死刑執行に抗議します

$
0
0
 去る6月25日、上川陽子法務大臣は神田司さんの死刑を執行しました。
 神田さんはいわゆる「闇サイト殺人事件」の加害者の一人です。この事件は、2007年、インターネットのサイトで知り合った3人が、共謀して女性を連れ去り、現金を奪った後に殺害したとするもので、当時、たいへんセンセーショナルに取り上げられました。
 事件では「共犯」3人のうち、神田さん以外の2人は無期懲役が確定しています。神田さんも一審死刑判決を不服として控訴しましたが、その後、自ら控訴を取り下げて死刑が確定してしまいました。控訴を維持した1人は、高裁で無期懲役に減軽されました。神田さんの控訴取り下げについては、弁護人が無効を訴え、現在は再審請求の準備中だったそうです。
 死刑執行後、法相の記者会見は、判で押したように、被執行者の身勝手と残忍さを述べ、被害者・遺族の無念を述べ、「慎重な検討を加えたうえで死刑の執行を命令した」と結ばれます。今回、上川法相の会見もそれをなぞったものでした。
 が、上述のような事情を「慎重」に「検討」してなお、130人の死刑囚の中から神田さんを選んで死刑を執行したというのでしょうか。
 しかも、この執行は、国会の会期中になされました。政権は、国会での追及や批判を避けて、国会が開かれている時は死刑執行しない慣例があるのですが、今回は無視されました。安倍政権の傍若無人ぶりを示すと同時に、なりふり構わぬ醜態をもさらしているようです。国会運営同様に。
 
 神田さんの死刑執行につき、上川法相、安部首相に強く抗議します。
 また、本人が判決の時点で上訴するかしないか、その後上訴を維持するか取り下げるかによって、生命を断つ刑に処せられるか否かが分かれててしまうかもしれない司法のプロセスには欠陥があると思います。
 そして、もちろん、死刑制度そのものに反対します。

 ※今回の死刑執行に対し、死刑廃止フォーラム90http://www.jca.apc.org/stop-shikei/、アムネスティ・インターナショナル・日本、日弁連、各県弁護士会などが抗議の声明を出しています。

伊藤和史からブログへ

$
0
0
 皆様、こんにちは。
 伊藤和史です。
 関東圏は6月8日に梅雨入りして以来、1ヶ月が過ぎた今日7月8日を迎えても、蒸し暑い日が続いております。
 皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 暑さに苦手な私は、疲れが少し残りつつも、支えて下さる方々のおかげで、こうして今日もペンを執ることができております。
 この私を支えて下さる皆様。
 どのような言葉で感謝の想いを伝えればいいのか、上手く言葉がみつからないほどです。
 でも、感謝の想いを伝えたい。
 「私に生きる勇気を与えて頂き、ホンマにありがとうございます」
 おかげ様で、7月1日に『死刑をとめよう!長野の会』(以下、『長野の会」)の代表から、“ポストカードが完成した”旨の報告を受けることができました。
 この度のポストカードの制作において、御支援・御協力をして下さった皆様・業者様には、私が描いた原画を基にして、ポストカードというカタチへ導いて頂いたことを、大変に有り難く感謝している次第です。
 そして。
 ポストカードの完成に伴って、「長野の会」の方が希望者様の窓口を担って頂けるとのこと。
 至れり尽くせりで本当に申し分がございません。
 御協力の皆様には、色々とご苦労をお掛けしますが、希望者様の対応と無事にポストカードをお渡し、又は、お届けして頂けますよう、しばらくの間、宜しくお願い致します。
 本当に助かり、感謝致します。
 さて、ポストカードの完成にも恵まれて、一歩一歩、前進しております。
 ポストカードのセットは、12点を1組にしたもので、サイズは、皆様のお馴染みのハガキサイズとは異なり、サイン色紙の約4分の1サイズになります。
 お題は、“伊藤和史の世界~「心のおと」から言葉と絵~その1”としました。
 ここで、希望者様にお願いがございます。
 大変に図々しく恐縮ですが、希望者様のお心(御支援金)として、1部につき\1500ーを頂戴願います。
 又、遠方の方につきましては、送料も別途負担して頂くことになるかと想われますので、その点は「長野の会」の窓口にて必ずご確認して下さい。
 海外交流者の方は、私が窓口になります。
 発送につきましては、EMSにてお届け致します。
 ※(注)ステイ中の方は、ホストファミリーの名前と住所を、又、クルーズ中の方は、最終帰港地(海外)の船舶代理店の名前と住所をお願い致します。私の愛称(Kazu)とご本人のお手元に届くように“c/o”も添えますので、ご心配なく。
 発行部数は、200部と数に限りがありますので、お早めに手にして頂けると幸いです。
 ちなみに、只今、個人的なブッキングが始まっているようです。
 希望者様から頂戴しましたお心は、“その1”の制作費用の返済と次作“その2”の制作費用に充てさせて頂きます。
 “その2”への制作条件は、“その1”の発行部数分がしゅうりょうしてからになります。
 この私の作品を一人でも多くの人の手に取って下さることを願い、私の新たな希望へ少しでも前進できるように、どうか、お力願います。
 では、ここでペンを置かせて頂こうと想います。
 蒸し暑さが続く中、気候の急変もあり、体調をくずしやすい時ですので、お身体にはくれぐれもご自愛なさって下さい。
 皆様の日々のお元気をお祈りしております。
 そして、世界の平和をお祈りしております。
 今日も一日、お疲れ様です。
2015.7.8(水)
Kazu

〈追伸〉
 私にとって、7月8日という特別な今日を迎えることができたことを、心から幸せに想います。
 支えて下さる皆様に、重ねて感謝致します。

ポストカードセット頒布開始しました

$
0
0
イメージ 1

 伊藤さんのメッセージにもあるとおり、彼が獄中で制作した色紙作品12枚を縮小し、ポストカードセットとして頒布を始めました。
 セット内容は、ポストカード(定形外)12枚と本人のメッセージ「伊藤和史から一人ひとりのあなた様に『ありがとう』」ならびに一審からの主任弁護人である今村義幸弁護士の書かれた「このポストカードの作者、伊藤和史さんについて」です。これらを特製封筒に入れて1部1500円でお分けします。
 手前味噌になりますが、とてもきれいに良くできています。友人である印刷屋さんが、趣旨を理解し、利潤0ゼロ,いやマイナスで作ってくださいました。
 それでも、印刷部数が200部と少ないこともあって、単価としては、比較的高くついてしまいました。1部1500円頂くのは心苦しいところですが、更なる制作と出版に繋げたいとする本人の意欲をご理解のうえ、どうか、ご協力ください。せめて、私から直接送るものについては、部数にかかわらず、送料はこちらで負担させていただきます。
 なお、振り込み口座は準備中なので、しばらくお待ち下さい。希望される方は予約を承ります。
 伊藤さんは常々、「私と同じような境遇に追い詰められた人が、同じ犯罪を犯さないですむように力を貸したい」と言っています。作品を通じた出会いが、彼の思いに繋がることを願います。 

 「心のおと」から言葉と絵
  ~伊藤和史の世界~その1
1セット 1500円
注文・問い合わせ:shomei_mashima@yahoo.co.jp
 

奥西さんが亡くなりました

$
0
0
 昨日、名張毒ブドウ酒事件の犯人として死刑判決が確定し43年間獄中で無罪を訴え、9回にわたって再審請求を繰り返してきた奥西勝さんが、収容先の医療刑務所で亡くなりました。89才でした。
 1961年、三重県名張で行われた地域の懇親会で供されたブドウ酒に毒物が混入され、5人の女性が亡くなりました。奥西さんは犯人として捕らえられ、1審では無罪判決を得たものの、名古屋高裁で逆転死刑が言い渡され、最高裁で確定されました。
 自白の強要、毒物特定の杜撰さなど、再審が開始されるべき事件でした。奥西さんは「私は無罪だから、ここ(名古屋拘置所)を歩いて出る」と語っていましたが、その信念はついに実現されませんでした。
 34年に及ぶ緩慢な死刑執行だったと思います。
 以下はアムネスティ・インターナショナル・ジャパンの声明です。↓↓↓

奥西勝さんの死を無駄にしてはならない

本日、「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝さんが八王子医療刑務所において、
その生涯を終えた。アムネスティ・インターナショナル日本は、死刑判決が
確定してから46年もの間、拘置所から無罪を叫び続けた奥西さんの死を悼む
とともに、再審開始を何度も拒み、ついに正義を実現することのなかった名
古屋高等検察庁および最高検察庁を強く非難する。

奥西勝さんが関与したとされるこの事件では、三重県名張市において1961年
に女性5人が毒殺された。事件の捜査には、重大な瑕疵があるとされる。
当初から奥西さんが犯人であるとされ、長時間の取り調べに自白の強要がな
された。死刑事件には相当な証拠が必要である。津地方裁判所では、限られ
た物証では犯人と特定できないとして無罪の判決を得たにもかかわらず、名
古屋高等裁判所では逆転して死刑判決が下された。

当時は、捜査過程で密室での拷問によって自白が引き出されてきた。また、
証拠のねつ造も散見された時代であり、えん罪の温床は今もなお解消されて
いない。強制された自白による証拠について、証拠能力が認められてきたこ
とも、適正手続を無視したものである。物証が極めて限定され、奥西さんが
犯人ではない蓋然性が高いといわれてきた。疑わしきは罰せずとの原則に立
ち返り、少しでも有罪が疑われるのであれば、再審を開始すべきであった。

奥西さんは、命のあるかぎり闘うと、強い決意をもって長年拘束された生活
を耐えてきた。しかし、死刑囚としての生活は、体力も気力も奪うものであ
っただろう。えん罪の可能性が高いことは、弁護団の主張だけでなく鑑定結
果によっても明らかである。執行もせず、放置された状態で、検察庁はまる
で死を待っていたかのように思える。再審が開始されなかったことが悔やま
れる。

奥西さんの死から、司法は学ばなければならない。取調べにおける自白の強
要は、何も生まない。死刑はえん罪の可能性がある人の命も奪う。命が途絶
えてしまえば、取り返しがつかないのだ。

奥西さんの人生は、検察の不正義の歴史である。検察官の使命は、公益の代
表者として、無実の者を罰せず、真相解明に取り組むことにある。このよう
な過ちは二度と繰り返してはならない。検察庁が個人の人権を尊重し、無罪
推定を徹底し、あらたなえん罪を生まないことを求める。

以上

 
 

「被害者遺族からあなたへ」

$
0
0
イメージ 1
「死刑を止めよう」宗教者ネットワーク編訳
被害者遺族からあなたへ
ー私たちは死刑に反対するー
第2版

 先日、真島事件の伊藤和史さんのポストカードセットを買ってくださった関西方面の方からこのパンフレットを送っていただきました。
 このパンフレットは米国に本拠を置く国際団体「人権のための殺人被害者遺族の会」(Murder Victim's Families for Human Rights:MVFHR)のホームページの「被害者の物語」からダウンロードして翻訳・印刷されたものです。
 MVTHRのメンバーは、殺人事件の被害者の親族で、いかなる死刑に対しても反対する人たち。メンバーには国家によって処刑された人の家族も含まれています。
 短い文章のひとつひとつを読むのにとても力が必要だというのが実感です。自分の家族、夫や息子や娘が殺された、処刑されたと想像せずに読むことはできませんでしたから。書き手の中には、もともと死刑に反対していた人もあれば、死刑は当然と考えていた人もあり、ほとんど考えてみたことのない人もある。日本で暮らす私たちと同じです。
 それが、ある日、身内を理不尽にも殺されてしまった。当初、犯人を自分の手で殺したかったと多くの人が書いています。しかし、時がたち、絶望と悲しみはより深まるが、(自分の手にしろ、国家の手にしろ)犯人を殺すことは、自分と自分の大切な人をその加害者と同じ位相に貶めることだと考えるようになる。あるいは、死者を増やしたところで、何も変わらない、誰も救われないと思い至る。
 パンフレットには三十数人の、ひとりひとり違う人間が、身内を殺され、そこから、死刑に反対する運動に関わっていく、三十数通りの物語が凝縮しています。翻訳のワープロ打ちをそのまま印刷しているらしく、変換ミスも多く、レイアウトの崩れもあって読みやすいとは言い難いですが、かえって肉声を感じました。
 巻末には、保険金目的で弟を謀殺され、憎しみに七転八倒しながら、加害者の被告(のち死刑囚となる)と面会や文通を始めた原田正治さんが、加害者の死刑執行停止を訴え、執行後にはMVFHRの協力団体として、「被害者と加害者の出会いを考える会ーOcean」を立ち上げる経緯が載っています。
 読んでみたい方、ご連絡下さい。→ shomei_mashima@yahoo.co.jp

師走の死刑執行!

$
0
0
今日、東京拘置所と、仙台拘置所で、死刑が執行されました。
一次、二次安倍内閣計24人目の執行。岩城法相就任わずか2ヶ月あまりでの執行です。
東拘の津田さんは、裁判員裁判での死刑判決が控訴取り下げによって確定した、初めてのケースでした。
仙台の若林さんは、冤罪を主張していました。
国会の閉会中、年末ギリギリでの死刑執行。
国家の殺人を当たり前にするためだけの。
怒りを込めて抗議します。

師走の死刑執行!2 なぜ?

$
0
0
イメージ 1
 昨12月18日、岩城光秀法務大臣は、津田寿美年さんと若林一行さんの死刑を執行しました。津田さんについては、裁判員裁判で死刑判決が下された方に対するはじめての執行でした。
 裁判にしろ、この度の死刑執行にしろ、なぜこうも裁判員に焦点を合わせた報道ばかりが目立つのでしょう。
 加害者には個人個別の事情があります。被害者にも場合によってはあります。でも裁判員にはそれがない。だれでもが、事情にかかわりなく裁判員に選出される可能性がある。だから、裁判員にもっとも近しい感情を抱くという理由はあるでしょう。
 しかし、憲法37条は「すべて刑事事件においては、被告人は、公正な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。」と定めています。つまり、裁判は何よりまず、被告人の権利としてあるわけですよね。また、同18条には「何人も、‥犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」ともあります。裁判はそれによって、人の基本的人権の1つを制限する唯一の重大なプロセスです。
 だから、裁判や判決、刑罰についての報道や議論は、裁判というプロセスが十全に行われたかに第一の焦点を定めてなされるべきだと、常々思うところです。
 津田寿美年さんは、裁判員裁判で死刑判決を下された後、弁護人の控訴を自ら取り下げています。苦役どころではない、生命を奪う刑罰を科すに耐える裁判の過程が踏まれたとはとうてい言えません。法務省のある幹部は「自ら控訴を取り下げてことは、罪の内容に疑いがないことを意味する」と説明したそうです。でもそれはちがう。
 死刑をとめよう!長野の会が支援する「死刑囚」は、裁判員裁判では取り上げられなかった事実の主張があったけれど、死刑判決を受け入れることが被害者と遺族に対する責任の取り方だから控訴しないと言い張っていました。弁護人や支援者が懸命に説得し、刑務官にまで背中を押されて彼は、控訴し、上告もしました。
 もうひとり、上告中の被告人は、事実認定と量刑を不服とし、確信を持って控訴しながら、精神的に極度に落ち込むと2度まで、それを取り下げようとしました。
 2人とも、なんとか上訴を維持しましたが、いきおいで取り下げてしまっても、あるいはそもそも上訴しなくても不思議はありません。津田さんがなぜ控訴を取り下げたのか、本当のところはわかりません。三審制は必要不可欠な裁判プロセスとして保障されるべきです。そのプロセスを経ない執行でした。
 また、朝日新聞は、「法務省幹部」が記者に対し「(裁判員)制度が定着する中、執行を避けていては、逆に市民に失礼だと考えた」と語ったと書いています。「死刑判決を出した人に失礼だから、殺した」と言っている。吐き気がします。
 
 
 
 
 

最後の弁論日程

$
0
0
 
イメージ 1
イメージ 2













 3月、春です。
 我が家からの景色も変わりました。左から右へ。アングルは違いますが。
 そして、3月29日15時から、真島事件最後の被告人・伊藤和史さんの最高裁弁論が開かれます
 事件から6年、私たちが被告人だった伊藤さんたち4人と出会ってから5年が経ちます。すでに3人は、判決が確定しました。松原智浩さんが死刑判決。他の2人はそれぞれ無期懲役と懲役18年に減軽されて服役中です。弁論から何ヶ月後かに下される伊藤さんの判決をもって、裁判の過程は終結することになります。
 裁判は終結しても、刑事施設で4人の暮らしは続きます。死刑をとめよう!長野の会の面々の暮らしも続きます。全国各地で協力してくださった皆さんの暮らしも続きます。もちろん活動も。当たり前だけれど、忘れがちなことではないでしょうか。終わらない。
 7月には最終の「真島事件裁判報告会」も企画しています。多くの皆さんに弁論、報告会に足を運んでいただけることを望みます。
 




伊藤和史の世界 5

$
0
0
伊藤和史さんの作品の展示を再開します。
イメージ 1

伊藤和史の世界 6

面会、そして死刑執行

$
0
0
 3月25日、久しぶりで死刑の確定してしまった松原智浩さんと面会しました。
 死刑判決を受けた被告人や、まして確定した「死刑囚」と面会するのは、さぞ、心重いことであろうと推察する方は多いと思います。私もそうでした。長野の一家3人殺害事件ー真島事件に関わるまでは、「死刑囚」と面会するなどということは想像もできないことでした。
 今は違ってきました。無機質の建物と内装、物々しい警備が張り巡らされた刑事施設での面会です。もちろん気構えるところはあります。けれど、なかなか会えない友だちに会うワクワク感の方が大きいものです。特に、松原さんとは、5年を超える付き合いです。勝手にウマが合う方だと思っているので、心も弾みます。
 そうして、東京拘置所に向かう電車の中で、メールにより、同日の死刑執行を知りました。
 一瞬、松原さんが亡くなった錯覚にとらわれ、混乱し、次に怒りがこみ上げました。
 
 昨年末の執行に次ぎ、今度は年度末です。岩城光英法務大臣は、就任後5ヶ月で4人の方の死刑を執行しました。とても、自らそれぞれの事件と死刑囚の状況を精査したとは考えられません。法務官僚の言うがまま執行命令書にサインする図が透けて見えます。そして、それが安倍内閣の意図です。
 2014年12月の世論調査で、死刑は存続すべきとした回答は80.3%で、5年前の調査を5.3%下回りました。袴田巌さんの冤罪が明らかになったことと、調査票の質問の仕方が大きな原因だと考えられます。民間の同規模の調査では、「死刑は絶対にあった方が良い」27%、「どちらかといえばあった方が良い」46%だったと報道されています。
 世論は揺らいでいるし、ますます死刑についての議論が必要になっています。政府は執行を止めて、議論を喚起するべき時です。また、韓国やフランスのように、政治主導で死刑の執行を停止したり、死刑を廃止したりする土壌が日本にもあると判断することもできるはずです。
 しかし、安倍内閣はそれをせず、すでに16人もの死刑を執行しました。死刑により人を殺し続ける国は、安保法案を強行裁決し、戦争で人を殺そうとする国でもあります。
 安倍首相、岩城法相による、鎌田安利さんと吉田純子さんへの死刑執行を糾弾します。
 鎌田さんは75歳の高齢で、心身の衰えがあったと言います。吉田さんは、キリスト者として、被害者への贖罪に生きていたそうです。
イメージ 1
暮れはじめた小菅駅から、東京スカイツリーを望む

大阪より

$
0
0
3月25日、岩城法相により死刑を執行された一人、鎌田安利さんについて、大阪からの報告です。
死刑廃止FORUM(死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90)メーリングリストへの投稿を許可を得て転載します。

大阪からの死刑執行抗議報告
  3月25日、大阪拘置所で鎌田安利さんが死刑執行により殺された。
有志で大阪拘置所前でささやかな別れの集まりと抗議を行った。
一報が入ったのは、朝の8時15分ころだった。受話器を置いて思った。それが「鎌田安利さんへの死刑執行があった」だったのか、「大阪の鎌田さんへの執行の情報がある」だったのかは確認できていない。
でも、大阪の場合、小林薫さんのことがある。小林さんは朝7時45分頃房から連れ出され死亡時刻は8時4分だったという。中道弁護士は「小林さんは強引に連れ出し有無を言わさずに縛った」「とても耐えられない気持ちでいっぱい」だと東京での抗議集会でハナされていた。同じ事を大阪拘置所は常態としてやっているのではないのか、と思うから。
鎌田さんには一度しか面会で会っていない。2005年7月上告審の判決が出て死刑が確定するまでの間のことだった。執行の会った日、テレビで流された鎌田さんの顔写真とは違う。もっと顔はほっそりとして小柄な感じの、気のいい隣のオッサンのような印象をもった。
僕はそのころ、大阪でかたつむりの会という死刑廃止のささやかな運動をしていて、通信「死刑と人権」の編集をしていた。2002年頃から通信に投稿してくれるようになった。いつも、赤、青、黄、緑の色鉛筆でカラフルでにぎやかな見た目、おもわず読みたくなるようなサービス満点の手紙を送ってきてくれた。そのはじめの頃に書いてくれたのが房の窓から見える、今はマンションが立ち並んでいるが、その頃は工場でその煙突解体工事の絵を書き送ってくれた。
たった一度だけの面会だったのに、その直後の手紙には、「感動、歓喜した」と書かれていた。あの面会の時、手帳も何も持っていかなかったこともあり、鎌田さんのお名前を失念してしまった。アアでもない、こうでもないと考えてやっと思い出し、面会できたのだが、そのことを、鎌田さんへの開口一番に言うと笑ってられた。
今年に入ってから、鎌田さんが再審をし(て)ないと知り、ヤバイのではないのかな、ねらい打ちされるのではないかなと心配していた。
それが本当のこととなった。
 
夜7時に大阪拘置所前に集まることとした。正面入り口のある大川ぞいの道に出ると、公園で、もう斉藤さんの敲く太鼓の音が聞こえてきた。遠くからでも聞こえる。きっと拘置所の中でも聞こえている。
正門前に立つ。薄暗いライトが灯っている。横断幕を広げ、ろうそく、線香に火をつける。制服を着た職員が門の向こうに建ち並び僕たちを威嚇する。僕たち6人それぞれが鎌田さんのこと、死刑執行のことで塀の中に向かって、鎌田さんに向かって話す。
 
高齢者、未成年者、精神疾患の人への死刑執行は国際的には禁止すべきであるとされている。鎌田さんは75才になる。いつもサービス満点の手紙をくれていた鎌田さんだったが、確定してからは少しずつ、わずかな、本当にわずかなカンパしかしないのに礼状をくれていたが、その礼状がふるえるような字になってきていた。そんな高齢のひとを死刑で殺す意味は何なのかと思う。なぜ殺すのか。
鎌田さんとの手紙のやりとりの中で、「事件」について書かれたことはなかったし僕も聞かなかった。死刑に反対という立場での関係だった。それでいいと思っている。
でも、鎌田さんは、共犯者がいて自分は無実なんだと主張されていたと知った。「警察や検察で話したことは真実でないと法廷で言っても裁判官は聞く耳を持たなかった」と2008年のアンケートに書かれていた。高齢となり、字がふるえ、ボケも進んでいた、とも。力が尽き、再審をあきらめた。そんな鎌田さんに、国に殺された今、安らかになどととても言えない。どんな思いで死んでいったのかと思う。鎌田さんの心は大拘に残ると思う。
 
一時間ばかりの別れの集まりをしました。   
                               鎌田安利さん 初七日の日に
                                                     2016/4/1                 加賀屋 猫七
 
_______________________________________________
Forum90 mailing list

今日は判決

$
0
0

イメージ 1

今日、4月26日は、真島事件被告人、伊藤和史さんの最高裁判決です。4人の被告人につき、計12回の判決。その最後となります。
弁論から1か月足らずです。死刑判決が覆る見込みは、まずありません。それでも見届け、聞き届けます。明日からも変わらず、「彼らと生きたい」。
3時 最高裁小法廷。
2時20分から傍聴券が発行されます。

やはり、

$
0
0
イメージ 1
 2016年4月26日15時、最高裁第3小法廷において、真島事件最後の被告人である伊藤和史さんの上告審判決が言い渡されました。
 予想通り、上告棄却、死刑が確定してしまいました。いつも通り、傍聴者は列を作り、きっちり30分前に裁判所職員と警察官に挟まれて建物内へ。そして法廷へ。
 裁判所職員によりいつも通りの注意が朗読され、3時きっちりに裁判官5名が入廷。報道による2分間の写真撮影。開廷。即、判決文朗読。1分足らずで閉廷
 さすがに傍聴席から講義の声が上がると、警備の人が何人もすっ飛んできました。出遅れた人の慌てぶりがちょっと面白かった。
 そもそも、この上告は、実質的に事実誤認、量刑不当の主張であって、刑法上の上告理由に当たらない。だから上告棄却。それが全てです。
 付記として、控訴審の判決をなぞり、被告人の苦境や自首、反省を十分考慮しても、「死刑の科刑はやむを得ない」。裁判官全員一致だそうです。
 3時4分か5分過ぎには、裁判所の外に押し出されていました。
 一審からの主任弁護人が「6年間ですよ!」と絞り出すように言うのを聞いて、ようやく怒りがこみ上げました。そうだ、6年間。命を奪う刑は、1分足らずで、言い渡されました。
 法廷には、関西にありながら全公判を傍聴し続けた伊藤さんのお連れ合いの姿がありました。一審には見えなかったお母さんの姿もありました。お子さんや義妹の姿も。一審の時、ずっと傍聴席の最前列で被害者の遺影を掲げていた遺族の姿はありませんでした。6年間。
 26日の晩、伊藤さんに電報を打ちました。
 「上告棄却、糞食らえ。ずっと一緒に生きていこう。」
イメージ 2



 

伊藤さんの死刑確定

$
0
0
イメージ 1
 真島事件「最後の被告人」だった伊藤和史さんの上告は、4月26日に棄却され、死刑判決が維持されました。その後、弁護人が訂正の申し立てをしましたが、5月25日にそれが棄却され、同日付で、伊藤さんの死刑が確定してしまいました。
 奇しくもその25日、最高裁の判決後初めて、伊藤さんからハガキが届きました。官製はがきを色鉛筆で薄いブルーに彩色し、いつもどおりのきれいな文字で、いくつもの感謝が述べられていました。
 気になることがあったので、26日の朝、伊藤さんに電報を打ちました。手紙では、着く前に判決が確定してしまうのではないかと怖れたからです。でも、電報も間に合わなかった。打電の後、弁護人からのメールで、前日の死刑確定を知りました。
 今後は、拘置所の許可がなければ、伊藤さんと手紙のやり取りをすることも、面会することもできません。死刑囚の「心の安寧」を保つためと説明されています。
 でも、納得がいきません。外の社会との交通を断つことと、「心の安寧」を保つことに絶対的な因果関係があるとは思えません。むしろ孤立感を深め、心が壊れていくかもしれません。外部交通の厳しい制限は、死刑囚にとって刑罰とは関係のない罰ではないでしょうか。
 一方、外の人との交通を断つことで、その死刑囚の姿は、社会から完全に隠されてしまいます。彼は生き続けているのに、「いなく」なる。死刑の始まりです。そして、ある日、「いなく」なっていた人は本当にいなくなる。
 ここに死刑制度を保つからくりの一つがあるように思えてなりません。

 

真島事件裁判〈最終〉報告会

$
0
0
イメージ 1

 長野市真島において、一家3人が殺害されるという事件の衝撃が、長野に走ってから6年余りが経ちます。
 2010年4月11日、信濃毎日新聞の紙面に「長野 異臭倉庫内男性遺体」という見出しの記事が載り、同時に倉庫の借主関係者の一家3人が行方不明になっているとも報じられました。そして、5日後には、愛知県内の資材置き場で行方不明だった3人の遺体が発見され、4人の男性が死体遺棄の疑いで逮捕され、程なく強盗殺人、死体遺棄の容疑で起訴されます。
 はじめは大きく報じられ、一家3人の遺体と関連付けられていた長野市の倉庫にあった腐乱遺体は、4人の逮捕、起訴、裁判員裁判への過程で切り離され、影をひそめていきます。しかし、この倉庫の遺体こそは、一家3人の殺害と深いつながりがあり、それさえなければ、長野市一家3人殺害事件=真島事件は起きなかったと言っても過言ではありません。
 長野市の倉庫に放置されていた遺体は、宮城浩教さんのもので、宮城さんを殺したのは、暴力団つながりで弟分の金良亮さんでした。真島事件の被害者です。真島事件で死刑判決を受けた伊藤和史さんは、この殺害を間近で目撃し、死体の運搬や遺棄を手伝わされました。その後、伊藤さんは24時間監視の下に働かされ、何かにつけ「宮城のようになりたいか」と脅され、視野狭窄に陥っていきます。その事情は、高裁判決も最高裁判決も認めています。
 真島事件最後の被告人だった伊藤和史さんの死刑判決は、弁護人による訂正の申し立てが棄却され、5月25日に確定しました。これで、4人すべての判決が出揃いました。2人が死刑判決。1人が一審の死刑から無期懲役に減刑。もう1人が懲役18年。懲役刑の2人はそれぞれの地で服役し、死刑判決の2人は、今も東京拘置所の独房にいます。
 なお、2014年9月に死刑が確定してしまった松原智浩さんは、2016年5月31日に再審請求を行ったところです。
 
 すべての判決が確定したところで、死刑をとめよう長野の会は、チラシにあるように「真島事件裁判〈最終〉報告会」を企画しました。裁判に深く関わった3人の弁護士からの報告です。
 今村義幸弁護士は、ご存知の通り、一審から伊藤和史さんの主任弁護人でした。今村弁護士には裁判の全過程と伊藤さんの現況について話していただきます。松原智浩さんの二審三審の主任弁護人を務めた宮田桂子弁護士には、裁判の過程と共に松原さんとの交流や、再審請求について報告をいただきます。
 3度目の登場となる安田好弘弁護士は、伊藤さんの上告審では弁護活動に全面的に協力されました。3回目の今回は、弁護活動の中身と、真島事件の4つの判決が持つ意味や死刑制度の中での位置付けについて伺います。
 私たちは今、2つの死刑判決を前に、無力感と執行の恐怖の中にいます。そしてなお、伊藤さんや松原さんの胸中を計り知ることさえできません。
 報告会では、これまで関心と協力を寄せてくださったみなさんと共に、3人の弁護士の報告を聞き、事件と裁判を振り返り、また歩み出すきっかけにできればと思います。
 多くの方の参加をお待ちしております。

真島事件裁判〈最終〉報告会
○日時:2016年7月16日(土) 14:00~16:30
○場所:長野市もんぜんぷら座 801(8階)
     (中央通り新田町交差点)
○参加費:500円
○問合わせ:090-1654-5378(おかざき)
※予約不要

死刑確定(再)

$
0
0
※4月28日の投稿です。
 画像を削除しようとして、記事ごと捨ててしまいました。
 テキストだけ、復元します。
 コメントを下さった方、申し訳ありません。
 伊藤和史さんの希望により、画像を削除しました。
 真島事件「最後の被告人」だった伊藤和史さんの上告は、4月26日に棄却され、死刑判決が維持されました。その後、弁護人が訂正の申し立てをしましたが、5月25日にそれが棄却され、同日付で、伊藤さんの死刑が確定してしまいました。
 奇しくもその25日、最高裁の判決後初めて、伊藤さんからハガキが届きました。官製はがきを色鉛筆で薄いブルーに彩色し、いつもどおりのきれいな文字で、いくつもの感謝が述べられていました。
 気になることがあったので、26日の朝、伊藤さんに電報を打ちました。手紙では、着く前に判決が確定してしまうのではないかと怖れたからです。でも、電報も間に合わなかった。打電の後、弁護人からのメールで、前日の死刑確定を知りました。
 今後は、拘置所の許可がなければ、伊藤さんと手紙のやり取りをすることも、面会することもできません。死刑囚の「心の安寧」を保つためと説明されています。
 でも、納得がいきません。外の社会との交通を断つことと、「心の安寧」を保つことに絶対的な因果関係があるとは思えません。むしろ孤立感を深め、心が壊れていくかもしれません。外部交通の厳しい制限は、死刑囚にとって刑罰とは関係のない罰ではないでしょうか。
 一方、外の人との交通を断つことで、その死刑囚の姿は、社会から完全に隠されてしまいます。彼は生き続けているのに、「いなく」なる。死刑の始まりです。そして、ある日、「いなく」なっていた人は本当にいなくなる。
 ここに死刑制度を保つからくりの一つがあるように思えてなりません。

 

伊藤和史の世界 7

16日報告会へ!

$
0
0
イメージ 1

   「猿島事件」裁判最終報告会

 ○2016年7月16日(土)午後2時~
               1:40開場
 ○長野市もんぜんぷら座 会議室801
  
 ○参加費:500円

 ○参加申し込み不要

 ○問い合せ:09016545378(岡嵜)

 「真島事件」裁判最終報告会が3日後に迫りました。
 できる限り情宣はしたつもりですが、参院選の直後でもあり、マスコミの反応は良いとは言えません。
 伊藤和史さん、松原智浩さんの裁判に並々ならぬ尽力をされた3人の弁護士からの報告は、内容が濃く、真島事件だけに収まらない示唆に富んでいることは間違いありません。多くの方に聴いていただかなくてはもったいない。(そして資金繰りが苦しい。)
 マスコミの反応が薄い一方で、何人もの方から、参加や応援の連絡をいただきました。県内だけでなく、東京や神奈川の方が参加されます。遠くは宮崎県から奥本章寛さんと被害者家族を支える会の方が3人も駆けつけてくださいます。また、今回は報告をお願いしなかった弁護人からも参加の連絡をいただきました。それぞれ、一言ずつ発言していただく予定です。
 2時から5時過ぎまでの長丁場になりますが、どうかご参加ください。
 遠方で、宿泊が必要な方は、上記問い合わせ先(岡嵜)までご連絡ください。
 
 

「真島事件」裁判最終報告会、終わりました!

$
0
0
イメージ 1

 7月16日、連休の初日に「真島事件」裁判最終報告会を開催しました。
 長野県内だけでなく、東京、神奈川、埼玉、遠くは福岡、広島、大阪などから40名の方々が参加してくださいました。とりわけ、他の死刑囚の支援者や、真島事件死刑囚のご家族が足を運んでくださったことに、大変感動しました。お礼申し上げます。
 最初に、伊藤和史さんの全裁判過程において主任弁護人であった今村義幸弁護士から、真島事件の概要についてあらためて報告がありました。4月に死刑判決を受けた伊藤和史さんが、いかに暴力団員のMさんから暴力支配されていたか。そしてMさんの舎弟であり、真島事件の被害者である「専務」がMさんを射殺するのを間近で目撃し、死体の処理や運搬を手伝わされ、今度は、「専務」の支配下に入って「真島の家」にほとんど監禁される過程が、わかりやすく説明されました。
 高裁判決も最高裁判決も、伊藤さんが心身ともに疲弊し切り、耐え難い心境になっていたことは認めながら、逃げるなど、他の解決策を講じなかったことを断罪しています。逃げなかったのではなく、逃げられなかった心理状態を、科学的に実証し、判事に理解を求めることの困難と重要性は、後の報告や質疑応答でも繰り返し論じられました。
イメージ 2
 次に報告に立たれた宮田桂子弁護士は、2年前に死刑判決が確定してしまった松原智浩さんの、二審と三審の主任弁護人でした。松原さんの一審公判は、事件から1年足らずで開かれ、他の3人の被告人に比べて、異様に早くしかも期間が短かったことが真っ先に述べられました。弁護方針を含め、そのことが重大な問題であったと。
 松原さんも、肩代わりさせられた借金の返済を理由に、伊藤さんより前から「真島の家」に被害者らと同居することを強いられていました。しかるに、松原さんの犯行動機は、判決が述べるような被害者への報復感情ではなく、伊藤さんの苦境への共感と同情であった。松原さんが、「気弱で」「優しく」「いいヤツ」なのだと何ども強調されました。
イメージ 3
 安田好弘弁護士は、「国選弁護人の資格を持たない」からと、受任はせずに、伊藤和史さんの上告審弁護に全面協力されました。
 安田弁護士は、死刑の執行を誰が行うのか、法律に明記されていないなど、死刑をめぐる法の不備から始め、処遇から執行まで、死刑確定後の隠された流れについて、説明されました。
 再審請求、恩赦の出願、さらには行政訴訟など、死刑の執行を止める手立ての、メリット、デメリットについては、豊富な経験に基づく、失敗談も交えながら。また、限定された死刑囚とシャバの私たちとの交流を、印刷した通信の差し入れによって少しでも広げる知恵もいただきました。 
 そして、最後は、執行を止める唯一絶対の手段である死刑制度の廃止運動への参加を求められました。
イメージ 4
 最後は、福岡県から3人で参加してくださった「奥本章寛さんと被害者家族を支える会」の荒牧代表にあいさつをいただきました。
 奥本章寛さんは、真島事件の起きた2010年3月、宮崎県で、妻と義母、生後6ヶ月の長男を殺してしまいました。22歳の男性が職を失い、周囲から責め立てられ、絶望の果てに起こした殺人でした。やはり拙速な裁判員裁判に付され、真島事件の松原さんと相前後して上告棄却、死刑判決が確定しました。
 荒牧さんたち「支える会」は、若い奥本さんを支え、目覚ましい成長を助けるだけでなく、被害者の家族とも交流し、加害者と被害者の橋渡しをしています。荒牧さんは、また、支援者どうしの連携を強く訴えられました。
 今回の報告会は、今村弁護士、宮田弁護士、安田弁護士に報告をお願いしたものですが、当日は、宮田弁護士とともに松原智浩さんの二審・三審の弁護人を務められた大槻展子弁護士も「傍聴する」とおっしゃって参加されました。
 本来なら、大槻先生にも報告頂くべきところ、時間の都合で、一言発言をお願いするにとどまってしまったことをお詫びします。
「(判決は、)本当に悔しかった。今でも悔しい」
と声を詰まらせた「一言」にはげしく共鳴し、私も涙がこみ上げました。
 真島事件と関わって5年。死刑をとめよう!長野の会を結成して4年。2人の死刑判決が確定してしまい、確定した人とはほとんどやりとりができない。私を含む会の中は無力感とか諦めとか、モヤモヤした思いに包まれていました。ところが、大槻弁護士の言葉で、松原さんの一審公判を傍聴した時の悔しさが呼び覚まされました。
 茶番だ!
 このままでは済ませない!
 それが原点でした。もとより、力など無い。今更無力感とか諦めとか似合わない。知恵を絞り知恵を借りて松原さんと伊藤さんを支援し、執行を止めよう。奥本さんの支援者や他の多くの方たちと連帯して、すべての執行を止めよう。モラトリアムから死刑廃止へ。大きな風呂敷を広げよう。
 最終の報告会は新たなたたかいの始まりです。
イメージ 5

 
Viewing all 44 articles
Browse latest View live