7月16日、連休の初日に「真島事件」裁判最終報告会を開催しました。
長野県内だけでなく、東京、神奈川、埼玉、遠くは福岡、広島、大阪などから40名の方々が参加してくださいました。とりわけ、他の死刑囚の支援者や、真島事件死刑囚のご家族が足を運んでくださったことに、大変感動しました。お礼申し上げます。
最初に、伊藤和史さんの全裁判過程において主任弁護人であった今村義幸弁護士から、真島事件の概要についてあらためて報告がありました。4月に死刑判決を受けた伊藤和史さんが、いかに暴力団員のMさんから暴力支配されていたか。そしてMさんの舎弟であり、真島事件の被害者である「専務」がMさんを射殺するのを間近で目撃し、死体の処理や運搬を手伝わされ、今度は、「専務」の支配下に入って「真島の家」にほとんど監禁される過程が、わかりやすく説明されました。
高裁判決も最高裁判決も、伊藤さんが心身ともに疲弊し切り、耐え難い心境になっていたことは認めながら、逃げるなど、他の解決策を講じなかったことを断罪しています。逃げなかったのではなく、逃げられなかった心理状態を、科学的に実証し、判事に理解を求めることの困難と重要性は、後の報告や質疑応答でも繰り返し論じられました。
次に報告に立たれた宮田桂子弁護士は、2年前に死刑判決が確定してしまった松原智浩さんの、二審と三審の主任弁護人でした。松原さんの一審公判は、事件から1年足らずで開かれ、他の3人の被告人に比べて、異様に早くしかも期間が短かったことが真っ先に述べられました。弁護方針を含め、そのことが重大な問題であったと。
松原さんも、肩代わりさせられた借金の返済を理由に、伊藤さんより前から「真島の家」に被害者らと同居することを強いられていました。しかるに、松原さんの犯行動機は、判決が述べるような被害者への報復感情ではなく、伊藤さんの苦境への共感と同情であった。松原さんが、「気弱で」「優しく」「いいヤツ」なのだと何ども強調されました。
安田好弘弁護士は、「国選弁護人の資格を持たない」からと、受任はせずに、伊藤和史さんの上告審弁護に全面協力されました。
安田弁護士は、死刑の執行を誰が行うのか、法律に明記されていないなど、死刑をめぐる法の不備から始め、処遇から執行まで、死刑確定後の隠された流れについて、説明されました。
再審請求、恩赦の出願、さらには行政訴訟など、死刑の執行を止める手立ての、メリット、デメリットについては、豊富な経験に基づく、失敗談も交えながら。また、限定された死刑囚とシャバの私たちとの交流を、印刷した通信の差し入れによって少しでも広げる知恵もいただきました。
そして、最後は、執行を止める唯一絶対の手段である死刑制度の廃止運動への参加を求められました。
最後は、福岡県から3人で参加してくださった「奥本章寛さんと被害者家族を支える会」の荒牧代表にあいさつをいただきました。
奥本章寛さんは、真島事件の起きた2010年3月、宮崎県で、妻と義母、生後6ヶ月の長男を殺してしまいました。22歳の男性が職を失い、周囲から責め立てられ、絶望の果てに起こした殺人でした。やはり拙速な裁判員裁判に付され、真島事件の松原さんと相前後して上告棄却、死刑判決が確定しました。
荒牧さんたち「支える会」は、若い奥本さんを支え、目覚ましい成長を助けるだけでなく、被害者の家族とも交流し、加害者と被害者の橋渡しをしています。荒牧さんは、また、支援者どうしの連携を強く訴えられました。
今回の報告会は、今村弁護士、宮田弁護士、安田弁護士に報告をお願いしたものですが、当日は、宮田弁護士とともに松原智浩さんの二審・三審の弁護人を務められた大槻展子弁護士も「傍聴する」とおっしゃって参加されました。
本来なら、大槻先生にも報告頂くべきところ、時間の都合で、一言発言をお願いするにとどまってしまったことをお詫びします。
「(判決は、)本当に悔しかった。今でも悔しい」
と声を詰まらせた「一言」にはげしく共鳴し、私も涙がこみ上げました。
真島事件と関わって5年。死刑をとめよう!長野の会を結成して4年。2人の死刑判決が確定してしまい、確定した人とはほとんどやりとりができない。私を含む会の中は無力感とか諦めとか、モヤモヤした思いに包まれていました。ところが、大槻弁護士の言葉で、松原さんの一審公判を傍聴した時の悔しさが呼び覚まされました。
茶番だ!
このままでは済ませない!
それが原点でした。もとより、力など無い。今更無力感とか諦めとか似合わない。知恵を絞り知恵を借りて松原さんと伊藤さんを支援し、執行を止めよう。奥本さんの支援者や他の多くの方たちと連帯して、すべての執行を止めよう。モラトリアムから死刑廃止へ。大きな風呂敷を広げよう。
最終の報告会は新たなたたかいの始まりです。